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2007/08/20

おざなり?なおざり?

結論から言います

おざなり=適当に片付ける
なおざり=途中で投げ出す

おざなりのがまだマシです。


詳しくは下。


http://homepage3.nifty.com/tak-shonai/intelvt/intelvt_028.htm


「なおざり」 と 「おざなり」 という言葉がある。どちらも 「いいかげんに対処する」 というような意味だが、使われ方は微妙に違う。

端的に言えば、物事は 「おざなり」 で済ますことはできても、「なおざり」 では済まないのである。

「おざなり」 に済ますというのは、適当にいいかげんに済ましてしまうということだ。しかし、「なおざり」 というのは、そのレベルまでも行かない。成り行きに任せるだけで、まともに着手すらしないことを言う。

「なおざり」 は漢字で 「等閑」 と書く。「等閑」 は 「とうかん」 と読む立派な漢語でもあり、その意味は 「なおざり」 と同じ。要するに 「なおざり」 という和語に、同意の 「等閑」 という漢語を当てたもののようだ。

「なおざり」 は 「猶避」 であるとする説もある。必要な対応をしないで、避けて通ることというニュアンスが強い。ただし、こっちの方は漢和辞典を引いても出てこないので、漢語とみるのは怪しい。気の利いた 「当て字」 といったところだろう。

一方、「おざなり」 は 「御座なり」 で、元は幇間 (太鼓持ち) の隠語だったという説が一般的だ。お座敷がかった時に、そのお客のランクによって扱いを変えるというような意味らしい。どうでもいい客の場合は軽く 「御座なり」 に済ませるのである。

しかし、ここで問題にしたいのは、「なおざり」 と 「おざなり」 という二つの言葉の関係性である。これらは、たまたま意味が似ているだけで、別の成り立ちの言葉だったのだろうか。それとも、一方から他方が生じたのだろうか。

評論家の おくあき よしのぶ氏は 「日本語何でも相談」 (注) というサイトで、「なおざり」 という言葉は 「おざなり」 から 「音転」 によって生じたもので、もともと同じ意味であると主張している。

(引用)
「おざなり」 と 「なおざり」 とは、もともとは同じ言葉であったと思われます。これは “音転” あるいは “音転現象” といって、音素 (言葉に用いられる音の最小単位) の前後が入れ替わって発声される現象によるものです。

「音転」 の例としては、「新しい (あらたしい → あたらしい)」 、「山茶花 (さんさか → さざんか)」 などが有名である。「おざなり」 と 「なおざり」 も、その類というわけだ。しかしここで注意すべきは、氏が次のように述べていることである。

なおざり=いいかげんに物事を進めることで、誠意のないさまを表します。その場かぎりなのです。「おざなり」 と同じ意味で用いられるのは、この語の音転だからにほかなりません。
(文字の色は、わかりやすくするために、庄内が変えたもの)

「同じ意味で用いられる」 というのは、上述で論じたように、異論の生じるところだ。さらに、細かいことを言うようだが、「 『おざなり』 と同じ意味で …… (中略) …… この語の音転だから」 という限りは、「なおざり」 が、「おざなり」 からの音転によって、後から生じたと読み取れる。(『おざなり』 が …… 」 というのならば、「おざなり」 の方が後ということになるのだが)

一方、「山口仲美の言葉&古典文学の探検」 というサイトに 「おざなり」 と 「なおざり」 というエッセイがあり、次のように書かれている。

「なおざり」 の語は、平安時代から存在する古い言葉で、もう死語の仲間入りをしそうです。平安時代には、実に良く使われていました。当時の国語辞書 『いろはじ色葉字るいしょう類抄』 にも 「等閑ナヲザリ」 と出てきます。それに対して 「おざなり」 の語は、まだ若い。江戸時代から見られます。「お座なりに 芸子調子を あはせてる」(『柳多留』) という句もあります。

平安時代の文献まで証拠として出されたら、信じないわけにはいかない。「なおざり」 が先で、「おざなり」 はずっと後だ。そもそも 「おざなり」 が先だったら、音転現象で 「なほざり」 (「なおざり」 の古語表記) になるはずがないではないか。

ただ、『色葉字類抄』 では、 「等閑ナヲザリ」 とあるというのだから、平安時代は 「なほざり」 じゃなくて 「なをざり」 だったもののようだ。いつから 「なほざり」 になったんだろう。このあたり、わけわからん。もしかしたら、「なほざり」 の古代の発音 【napozari - nafozari】 から 【naozari】 に移行する中間期に、【nawozari】 の発音があったのかもしれない。

ただ、どう考えても、おくあき説は順序が逆なのである。どうも、おくあき氏は 「音転現象」 そのものの方に興味があって、論の主眼をそちらに置いているため、 「おざなり」 と 「なおざり」 の違いというテーマは、軽んじられている気もする。

ただ、おくあき氏の 「音転」 説に貴重なヒントを見出すとすれば、単に語の発生の順序が逆なだけで、「なおざり = 等閑」 から 「おざなり」 という言葉が生まれたとみることもできよう。この順序は自然なことと思われる。江戸時代には、「なほざり」 の発音は既に 「ナオザリ」 になっていたから、それがひっくり返って 「オザナリ」 になったと考えられる。

しかし、そのプロセスは 「音転」 という無意識的な現象というよりは、十分に意識的な 「造語」 の臭いがするのである。幇間や芸妓の世界の 「洒落」 から発生したのではなかろうか。 「御座なり」 などという、言い得て妙な漢字を当てているところをみれば、十分に意識的な 「確信犯」 である。この過程で、元々 「なおざり」 では済まされなかったものが、「おざなり」 には済んでしまうようになったのである。これは、相当なしたたか者だ。

必要な対処をしないで 「なおざり」 にすることが好きな、どこやらのお偉方は、宴席では幇間や芸妓に 「おざなり」 に扱われかねないのである。

言葉というのは、本当に一筋縄ではいかない。まさに生き物である。

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コメント

実験中...

投稿: rara | 2007/08/22 00:36

生きた哲学だねー。兄さんまた今度アイマショーヤ。
いろいろみんなが懐かしいです。

投稿: erk | 2007/08/20 12:25

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